「5年目でよそに追いつこう」の目標通りに日本一を達成
福岡如館は昭和50年、池田呑範士八段が自宅の敷地内に開いた道場である。
「5年でほかの道場に追いつこう」という当初の目標通り、
5年目には夏の少年剣道練成大会で日本一になっている。
池田呑氏は昭和63年に逝去、健二氏が館長となって相変わらずの好成績を続けている。
インターハイで個人を制した市川竜太郎、
玉竜旗、国体に優勝した池田康二(健二氏の次男)など、OBの活躍も目ざましい。
「道場を始めて3年目くらいから、あまり負けないようになりました。
指導者としても父を尊敬してますから、基本的には父のやり方を継承しています。」
と池田健二館長は言う。
子どもたちに防具をつけさせるのは、4月に入門すると、
低学年の場合で9月から、高学年になって始めた場合は7月からである。
以前はもう少し後だったが、今の子どもたちに興味を持ち続けさせるためにと、
少し早くなった。
低学年の稽古は、基本うちの練習が主体で1時間のうち40分ほどはそれに費やされる。
高学年の子が数人ずつ低学年の部にも出て、元立ちを務める、
というシステムになっている。
あえて稽古内容の特徴を上げれば、休むひまなく練習し、体で覚えさせている、
ということだろうか。
レギュラー以外の子にもなるべく試合出場の機会をつくる
福岡如水館は現在年間に53~36の大会に出場しており、
かなり多いほうの部類にはいる。
年間最大の目標は夏の武道館で日本二位になること、それと並んで、春の水戸大会あある。
「試合は子どもたちにとって目標になります。
現代の子どもたちには具体的な目標を設定してやらないと、
続かないのではないでしょうか」と池田氏は語る。
だから、レギュラーの5人以外にも、なるべく試合にでる機会を与えるようにしている。
試合のあと、福岡如水館では必ず反省会ををし、低学年の子であっても一人ずつ
その日の反省をみんなの前で言わせることにしている。
池田氏はそれを受けて「どこが悪かったのか」を話す。
優勝した場合でも同じで、勝っても苦言を呈することはあるそうだ。
池田館長は、高校、大学時代に目ざましい活躍を果たした名選手である。
玉竜旗3連覇という空前絶後の記録を持つ「あの」池田だ。
昭和33年から福岡商業高校で玉竜旗大会3連覇、
昭和35年にはインターハイの個人タイトルを獲得、
大学4年のときには全日本学生選手権をも制している。
国体では昭和33年と35年、呑氏が一般の部、健二氏が高等学校の部に、
親子同時出場を2度果たしている。
しかも33年には呑氏のほうが、35年には健二氏のほうが優勝を遂げた。
弟子は師に似るという。
稽古内容やアドバイスの中にも、呑氏や健二氏が経験から得たものが
生きているのだろうが、たとえ言葉や形には表れなくても、指導者の卓越した勝負魂が、
福岡如水館の子どもたちに自然に伝わっているのではないだろうか。
それは福岡如水館の伝統であり、他の道場が決して真似できない部分なのかもしれない。
稽古が週4回というのは、今の子どもたちにはちょうどいいような気がしています。
今日は遊べるとか、塾に行ける、という日があったほうがいいのでは
ないでしょうか。
毎日毎日詰め込むばかりではうまくいかないような気がします。
何か特別な練習法があるのではないか、といわれますが、特に何もないんです。
ただひとつ気をつけているのは、子どもを遊ばせないようにする、ということ、
つまり、休んでいる時がんがないようにする、ということです。
年間に出場するのは36大会くらいでしょうか。
36回と言うと月に3回ということになります。
月2回でも試合が多すぎる、という批判はあるでしょうが、私はやはり
試合があることが子どもたちの目標になり、それがあるから子どもたちも一生懸命
頑張るし、成長していくのだと考えます。
勝つことによってそれまでの苦しみが報いられ、また次の目標に向かって
努力する気持ちが生まれてくるのだ、と思うのです。
剣道がうまくなるのは、特別に運動神経がいい子とは限りません。
十人並みの運動神経があれば、あとは本人の気持ちの問題。
上級生のいいところを見ていて、自分もあなりたい、というふうに考えるようになれば、
つまり一度目覚めればあとは自然に伸びます。
それには親の協力というか教育も大きく影響します。
親が子供の剣道における成長に関心を持つことによって、
子どものほうにそれに答えよう、という気持ちが芽生えてくるんです。
親が熱心なほうが子どもは伸びますね。
~雑誌「剣道日本」より記事抜粋~